2011/11/6
2010年のショパンコンクールの優勝者であるユリアンナさんのコンサートに行ってきました!
なんとショパンコンクールではアルゲリッチ以来の45年ぶりの女性優勝者!!
ホールは すみだトリフォニーホール。
なかなか珍しい。
仕事柄、
建物の内装外装、作り、素材をチェックしてしまう(⌒-⌒; )笑
こんなの個性的!!
うし、席も良い席だ。
プログラムは以下のとおりです。
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出演
ユリアンナ・アヴデーエワ[ピアノ] カチュン・ウォン[指揮] 新日本フィルハーモニー交響楽団[管弦楽]
曲目
ストラヴィンスキー/ピアノと管弦楽のためのカプリッチョ ストラヴィンスキー/バレエ組曲《火の鳥》(1919年版) チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 op.23
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おーーー!
有名なチャイコのピアコン1番ではないか、、、
どんな人でも一回は聞いたことのある、あの曲です!
あの有名な冒頭の旋律!!
ワクワクしながら、
さぁ、音楽の時間のはじまり。。。
登場したユリアンナさんは、
なんと長い演奏会用のロングドレスではなく、
緑が鮮やかなかっちりしたミニワンピースに、下は黒いスパッツ。
髪は全部上にスッキリまとめた姿。
まるでこれからピアノではなくダンスでもしそうな格好でしたが、
なんとなく、どこか頼もしい彼女のスタイルに合っているようです。
フリフリのロングドレスより、妙にしっくり。
演奏は、、、
さすが・・・!!
身体全体を使ったダイナミックな演奏スタイル!!
チャイコでは、風が駆け抜けるかのような爽快感!!
ロシア人の女性ピアニストならではの芯の強さを持った人でした!!
ショパンだけではないレパートリーの広さに、これから定評がでてきそうですね!
(むしろショパンよりも他のレパートリーの方がしっくりきているような?)
ただ今回
たった一つ
残念なことがありました。
隣に座っていたおじさんが、
演奏中ずっとオーケストラの文句ばかりイライラしながらブツブツ不機嫌そうにつぶやいていたのです。
せっかくの音楽が・・・
いやいや、音楽に集中しよう!!
(しかし、外的要因に影響を受けやすい私にとって、とてもしんどかったです (>_<))
まぁせっかくなので、
なぜ同じ演奏を聞いても異なる感想になるのか?
考えてみました!!笑
音楽は本質的。
ゆえに演奏者のすべてが現れる。
けど私はこうも思います。
音楽によって、
聴き手のすべてがあらわれると!
受け取り方って千差万別。
感動するポイント一人一人違う。
けどこれって
当たり前なことです。
美しい旋律に、自分の想いを乗せながら聴く人もいるかもしれない。
ドラマティックな曲に感情的になりながら聴く人もいるかもしれない。
癒しの音に瞑想の世界に入って、そのまま気持ち良く眠りながら聴く人もいるかもしれない。
細かい部分ばかり気にして弾けていないと批判する人もいるかもしれない。
いろーーーんな受け取り方がありますね!!
私がいつもしつこく言っている「感動する力」とは、
まさに、このことです。
人間の持つ最大のチカラは、感動する力。
ということは、
自分が感動できるかどうかは、
弾き手ではなく、聴き手である自分次第ということ。
これが、批判する人がわかっていない
たった一つの事実です。
お恥ずかしながら
私が音楽を勉強していた時は、人の演奏のケチばかりつけていました >_<
やれ、
あと音が汚いだの、第2楽章の解釈が気に入らないだの、音を外しまくってるだの、、、
今考えると無駄なことをしていたなと。
自分の貴重な「時間」という名の命を削って聴きに来たコンサートで
批判してストレスを持って帰ってくるなんて・・・
命の使いかた間違っているよね!って気づいたんです。
むしろ、
この日のために何百時間、何千時間と練習を重ねてきた演奏家の方たちに敬意もなにもない態度。
平和な環境で音楽を聴けるという喜びに気づかない態度。
けど自分の立派な意見といえばそうなのですが、、、
では、
ただの批判か、意見かの違いはどこにあるんでしょう?
私は2点あると思っていて
・感謝があるかないか
・イマの自分のことを客観的に良く把握した上での感想かどうか。
だと思います。
なので、意見をいうのであれば
「イマの自分はこうゆう経験則と価値観を持っている人間なので、こういう感想を持った」
というのであれば
私は立派な 意見 になるとは思います。
とはいえ
そんな面倒くさいことを考えている暇もないですよねーー!笑
世の中いろんな人がいて成り立ってますから(⌒-⌒; )
実際一番は、その人の「イマのタイミング」というものが大きいと思います。
状態、ともいうのでしょうか。
ただこれも、
演奏者と聴衆の両方を経験してきた「私の意見」です。笑
それが
誠実さだと、思いますから
それが私なりの
聴き手の「責任」だと思いますから
うげーと思うことも、考える「きっかけ」になるのですから
本当に無駄なことなんかないです。
隣のおじさん、ありがとう!